「言葉の暴力」ってなに?その2

昨日に引き続き

フィンランドの女性論客
「ひとつ日本の議論で必要なのはそれぞれの違いを認めること
これを言ったらハブかれるんじゃないか
本当はこう思ってるけど言っちゃいけないんじゃないか
ではなくて
みんな違うんだ
違いがあっていいんだって言うことを認めるって言うことですよ」

私も同じようなこと言って来たけど、なんか違うんだよな・・・
と思ってた所に

東浩記氏

「完璧に同意見なんですけど
一個だけ加えると
みんなが全然違うんだ
それを全部認めなきゃいけない
って言うのもそれはそれで窮屈なんですよ。
例えば結婚した、結婚してない人生もある。
僕は結婚した、あなたはしてないでしょ?
じゃあ私を否定してるんでしょってことにもなるんですよ。
違いを認めるってことは
全ての価値観を等しく肯定することではないし。
いろんな人間が共存するって言うのは
逆に言うと仲悪いことを認めるってことなんですよ。」

そうなんだよね。
みんなの違いを認めるってのは確かにそうなんだけど、
「みんな仲良く元気良く」の日本文化にいきなりそれを持ち込むと
今度は、どんな価値観の人も全員正しく みたいに捉えられがちだけど
全く!そんなことではなくて
「嫌なものは嫌」
それで良いんだと思う。

私はそんな博愛主義者じゃないもの。
全ての価値観を等しく肯定?
なんてとてもじゃないが出来ません。

嫌いなもんは嫌いです。

しかしまあ、元々それぞれの個性を尊重して来なかった
画一的な教育ばかりして来た日本にとっては
みんなの違いを認めることひとつ取っても
大変だね・・・・。





2 Comments

カプチ

まあ
「嫌いなもんは嫌い」ですわなー。
けれど
憎悪とか怨念までいく人もいますからねえ。
そういうのには
賛成できませんわ。
単に物事の解決とかにとどまっていれば
そんなことないんでしょうが
自分の立場とか名誉とか
そういう個人的事情を考え過ぎると
鬼みたいになるんでしょうなあ。
ああ、恐ろし。

  • 2013/02/25 (Mon) 12:42
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ナレイ

Re: カプチさん

コメント、おおきにー♪

>「嫌いなもんは嫌い」ですわなー。
これで良いんだと思います。

自分とは違う価値観を認める
って
まだまだ日本の文化の中では
根付くのが難しいようです。

だからやたら「違うことを認める」と言うんだろうなあ・・
賛成なんだけど、
これが定着するには時間がかかりそうです。

朝生観ててそう思いました。

  • 2013/02/25 (Mon) 21:07
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