生れてすいません

 2012-06-11
過去を辿っていた週末。
私の春を忘れぬように。
昔の恋人や、思い出の場所、
いろんな人に会い、いろんな所に足を運んでは、
あの頃の自分 を、そこに見たひととき。

その中の一人の友人の
ナレイちゃんは天才でも有名でもないけど
私にとっては貴重な友達だから

と言う言葉に救われたりした。

私を好きだと思ってくれてる人もいるんだな・・・
と、改めて思わせてもらったりした。

私はいつも、太宰みたいな
生れてすいませんな所がどこかにあって

気がつくといつも謝ってる。
その場に「居る」だけでなんか悪いような気がして
あ、すいません、ごめんなさい!
なんて、何も悪いことをしていないのに、挨拶代わりに謝ってる。
ふと気がついて
で?なんで私はいちいち謝ってるわけ?
なんて自分で突っ込みを入れている。

太宰が「生れてすいません」なら
私は「ここに居てすいません」と言うカンジだろうか。

でも、「ここに居ても良いらしい」どころか、
本当は、この世界は、
こんな私を「十分に」受け入れてくれるものらしい。

古き良き時代3
カテゴリ :深層心理 トラックバック(-) コメント(4)
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コメント
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【2012/06/11 09:03】 | # | [edit]
コメント、ありがとうございます。
今回、非公開コメント と言うことで
頂いたコメントの内容、私なりにありがたく受け止めつつ

その内容には触れずに、返信させて頂きます。

私が「ここに居てすいません」と思ってしまうのは
基本的不信から来ている、と私は考えています。
生れてから、「世界に受け入れられている自分」と言うものを
体験して来なかったから。
「世界に受け入れられなくて当たり前」と思って生きて来てしまったからだと。

自己否定からスタートした人生 と言うのは
自己肯定からスタートした人のそれよりさんざん周り道せざるを得ません。

私は文学にはあまり詳しくありませんが
太宰が「生れてすいません」と言う人生を生きながら
自らの命を絶つ結果となってしまったけれど
それでも、あれだけの作品を残すことが出来たのは、
まさに彼のあらゆる葛藤の「昇華」の産物だったのだろうと。

太宰はもしかして、自分の悲しみや苦しみが
「原動力」になったのかも知れません。

勿論、本当の所は、太宰本人にしかわからないことですけど。
【2012/06/11 11:38】 | ナレイ #- | [edit]
今日は。

この写真、いいですねえ。
ホッとするどころか
溶け込んでいってしまいそうです。
お好み焼きの電柱と街灯も
最高です。

今日はいいもの見せてもらいました。
話題とは、ずれているけど。
【2012/06/11 11:57】 | カプチ #- | [edit]
こんにちは。
コメント、ありがとう。

良いでしょう?これ。ここ。

実はここ、思い出の場所ではなくて
数年前、ちょー都心のとある場所で見つけて
「これは撮らないと・・!」と思って
思わず撮ったものです。

こう言う昭和の佇まいがどんどん消えて行ってしまうのが寂しい限りです。
【2012/06/11 12:08】 | ナレイ #- | [edit]












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