悲しみを綴る

悲しみや苦しみを
活字にするのは、良いことかも知れないね。

私が去年ちち子を始め3匹の猫を、
次々亡くしてからというもの
この場に、どれだけその悲しみの深さを綴ったろう。

私にはこの悲しみを聞いてくれる人もいないし、
この場に吐くしかなかったんだよね。

詩という表現に変えて、公開に支障のないようにして。


悲しみを綴り始めた当初は
もうただどうにもならないくらい悲しくて
ちち子が死んだことに納得が行かなくて
あきらめがつかなかった。

それが次第に
僅かずつではあるけれど、
私の中で、変わって行ったんだよね。

なんて言うんだろ・・・・

ああ・・・悲しいけど、あの子はもういないんだな
と、ちち子がいないことを受け入れつつあるような
ちち子が遠くへ行ってしまったような
そんな感覚。

寂しいなあ・・・・と思うような感じ。


この変化が本当に「悲哀の仕事」なのかどうか
わからないけれど

でも、ちち子への思いが
変わったことだけは確かだ。

ちち子、
お前のいない生活は、寂しい。
でも私は、お前との10年間を大切に
これからも生きて行くしかないんだね。

↓あの日から、もうすぐ、1年・・・
亡き骸



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