13回忌ー臨終

 2011-11-10
母が死んだのは12年前の、ああ、ちょうど今頃だ。
午前3時33分だったね。

10月8日に余命1ヶ月宣告を受けてから、本当に1ヶ月余りで
あっけなく逝ってしまった母。

余命宣告を受けたときは、まだ元気でぴんぴんしていて
病院を歩き、食欲も旺盛だった。

この人があと僅か1ヶ月で居なくなる・・・なんて
どう考えてもおかしいよ・・・と何度も思ったものだった。

これが現実だとは、元気に笑う母を見ていると、受け入れられなかった。

とても言えなくて・・・。
でも彼女はどこかで解っていたのかも知れない。

医者の言う通り、彼女は2週間も経つうちに食べられなくなり、動けなくなり、
やがては、寝返りすら打てなくなった。
お腹はカエルのようにパンパンに膨れ上がり、黄疸でまっ黄色になった目で
私を見ては、
「息が苦しい・・」「水が飲みたい」と繰り返した。
しかしもはや水を飲み込むこと、嚥下すら出来なくなっており
圧迫されたお腹のせいで呼吸も苦しいのだろう。
酸素を付けても苦しみに喘いでいた。

そんなことの繰り返しの中で、私に出来ることは
身体をさすってやることと、
水を飲めない代わりに氷を口にいれてやることくらいなものだった。

ある夜、体温が異常に低い。
脈も微弱にしか触れない。

これはもう明日まではもたないな・・・と思った。
こんなときは、自分が病棟職員であったことを
何だか忌まわしく思ったりもした。

これだけ苦しみながらも意識だけは鮮明だった母。
お母さん、手握ってごらん!
と言う声に、冷たくなった手で私の手を握り返し、
お母さん、目開けてごらん!
と言う声に、黄疸でまっ黄色になって焦点の定まらなくなった目を
しっかりと開けた。

いよいよ意識がなくなったのが死ぬ2時間前。
なのに、
ヒーーッ!
ヒーーッ!!

と言う、まるで引き付けるような呼吸音・・・・。

こんな思いを経なければ、ひとは死に至れないのか?!
この人が一体どんな悪いことをしたと言うの?!
本気で私はそんなことを思っていた。

ただ見ているだけの主治医とナースたちに
何とかならないの?もういいよ。
そう言っても、何も返答はなし・・・・
お母さん、もういいよ・・
一刻も早くラクにしてあげたい・・・!心底そう思って語りかけた。

やがて、下顎呼吸が始まったので、もう息を引き取る・・・と思っていたら
よほどの苦しみだったのだろう・・目を思い切りひん剥いた。
このままでは目が開いたまま遺体になる・・!と思った私は
咄嗟に目をふさいだ。

それが最期だった。
一人で看取った母の最期は、余りにも壮絶で、
このときほど、誰でもいい、誰かにそばにいて欲しい・・!
と思ったことはなかった。

唯一の救いは、死の直後、私の知っている母の姿ではなくなっていた母が
数時間後には寝ているときと、同じ顔になってくれたことだけだった。

壮絶な末期癌による母の死。
その様を一人で看取った私。
私にとっての現実は、常に過酷なものとして、目の前に立ちふさがるように
これでもか、これでもか、とばかりにやって来る。
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