死んではいけない理由

 2030-03-01
※これは、新着記事ではありません。
新着記事はこの下からお読みください。

ちょっとこの記事は、自分が死にたくなったとき
いつも読めるように、トップに持って来ました。



こんなに苦しいだけの毎日で

なぜ死んではいけないのか、
私なりに考えてみた。


毎年のことだけど
昨日は、戦争もののドラマを散々観て、
むせび泣いていた。
母に聞かされた戦時中の話と
ドラマのあらゆる場面が重なる。

だから、どの場面もリアルに映って
毎年毎年恒例の行事みたいに、むせび泣く。


ドラマの中の台詞にも出て来たけど
私も、ときどき思うこと。

いつも死にたいとき
何が私を引き止めるのか

それはきっと、わたし という存在は
私一人で、ぽとっと産まれて来た訳じゃなくて
お父さんとお母さんがいたから、なんだよね。
お父さんとお母さんは
おじいちゃんとおばあちゃんがいたから産まれた。

おじいちゃんとおばあちゃんは
そのお父さんとお母さんから
産まれたんだよね。

そして、そのお父さんとお母さんは、
そのまたお父さんとお母さんから、産まれた。

そうやって考えて行くと、
わたし という存在は、
実に、百人、千人という祖先のいのちがあって
初めて産まれたのだと。


母から何百回も聞かされた戦時中の話、
誰もが必死で生きながら、
死にたくないと思いながら、死んで行った。

何ひとつ悪いことなどしていないのに
一瞬のうちに、青空を真っ黒に染められ
爆風に吹き飛ばされて、黒い雨に打たれた人がいる。

ただ、ささやかな幸せを大事にしていただけなのに
火の海になぎ倒された人がいる。

僅か二十歳や21で、特攻機に片道分の燃料だけを積んで
太平洋上に突っ込んだ人がいる。

一生懸命生きていただけなのに
あの空に、消えて行った人たちが沢山いる。


わたし という存在は、
私だけでは、産まれることがなかった。

そんな沢山の人たちの悲しい歴史の上に、初めて
わたし が存在する。


その人たちに思いを馳せるとき、
そんな簡単に死んでもいいの?
苦しいからと言って死ぬことは

過去の沢山の人たちの いのちを
踏みにじる行為ではないの?

そんな風にも思えて。



我が家には、過去帳というものがあります。
過去帳には、
その家の先祖の俗名と享年が書かれています。

その名前を見る度
会いたくて、たまらなくなります。

信次郎 とか、ふさ とか、
この人は、私にとってどんな存在の人だったのか
無性に知りたくなります。



一人勝手に死ぬことは、
この、過去の沢山のいのちを
裏切り、踏みにじることなのではないかと。


そう思ったら、
どんなに苦しくても
生きて行かなくてはいかんのじゃないかと。


生きることはつらいです。苦しいです。
でも、過去にはもっと苦しんで、
それでも生きようとしていた人がいたのだと。


だとしたら、そんな簡単に
このいのちを絶ってはいけないんじゃないだろうか。

昨日は、嗚咽しながら
そんなことを、ふと思いました。


亡き母が、言っていました。
東京大空襲のあと、一面焼け野原に立ったとき
本当に、見事に何もなくなって、
母の住む向島から、山の手の焼け残ったビルが見えた、と。

「ここまで何もなくなると、いっそ気持ち良かったわよ」と。






フリー画像・ぼやけたろうそくの火


※新着記事はこの下からお読みください。








タグ :

死の衝動に疲れて

 2020-01-18
ときに突き上げて来る
死の衝動。

衝動に、理屈は通用しません。
だからこそ 衝動 というのです。

しかし昨日は、

その衝動と、
冷静な、もう一人の自分との闘いの
一日でした。


絶対、ヤってはいけないよ
うるせえ!もう生きていたくない!
いやダメだって!絹はどうする?
そんなこともうどうだっていいよ!
良くない!お前母親だろ?
しらないしらないもう苦しいんだよ!


全力で自分を説得したせいか、
今日は何だかくたびれてふらふらになりました。

ま、私の場合、「死欲」とも呼ぶべき
食欲や睡眠欲と同じような生理的欲求が
常態化しいるので仕方ないんですけどね。


何とか乗り切りました。

私は、強いです。
しなって折れないビワの木です。

柿の木の枝のように、ポキーーン!!と
いっそ折れてしまいたいです。


もう、夢を見ることもできないのに。






ぽちで救われる私がいます


にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ

にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 闇詩へ

にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログへ

にほんブログ村
タグ :

1999年のままで

 2020-01-15
1999年で、時が止まったままです。

母が亡くなった年です。

このことは今まで「詩」として
表現して来ましたが、

比喩などではなく、

本当に、私の中で
この年から時計が全く動いていないのです。

今は、2020年です。

それが、本当にわからないのです。
2020年・・・?って、
そんなの、遠い未来の話にしか聞こえなくて。

オリンピックも、安倍政権の問題も
実感を伴って聞こえないんです。
なに、そんな未来の話をしているの?
としか思えなくて、
私の生活とは、すっかり乖離しています。


そして1999年前後の出来事のほうが
私にとって、むしろ新鮮に響くんです。

オウム真理教事件、つい3~4年前にあったけど
彼らは、ポアと称してなぜあんなに大量の殺戮を?とか、
同じ年にあった、阪神・淡路大震災。
関東に来る来ると言われてたけど、
神戸の街が
あんなに滅茶苦茶になってしまうなんて・・・とか


母の断末魔のような最期を
私は、一人で看取りました。

きっと、そのときのことが
私にとっては余りにも過酷で
受け入れ難いことだったのでしょう。

確かに、過酷過ぎる日々でした。
母の苦しみようは、まるで地獄絵図のようで、
私は一人で、病院に泊まり込み、
家と病院の往復をする毎日でした。

母は、鮮明な意識のまま、
お腹が苦しい苦しいと訴え続けました。
癌性腹水でお腹はカエルのように
膨れ上がっていました。

その腹水を抜いてもくれず、
ボロボロの病棟で、向かいの病室の声も丸聞こえ。
大した処置もしてもらえませんでした。

母の断末魔の場面が、忘れられません。

だから、20年以上経った現在も
母が死んだ とは思えないのでしょう。

あのときの地獄絵の数々が、
私の体中に
焼けた烙印を じゅうじゅうと
押しつけられるようです。

胸にざくりと、母の死 という傷ができました。

そこから時が止まっているので
だらだらと流れ出る血を抑えながら、

近所の人に笑顔で挨拶をしたり、
友達と楽しく話したりしています。


2020年・・・・・?
2020年・・・・・・?
どうしても、どうしても
それは私にとって、遠い未来です。


どうやっても、どう動かそうとしても
時計の針が、動きません。

今は、1999年です。
ノストラダムスの大予言が当たるとか当たらないとか
みんなが騒いでいます。


お母さんが死にました・その3







ぽちで救われる私がいます


にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ

にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 闇詩へ

にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログへ

にほんブログ村
タグ :

聖なる私

 2020-01-14
この体が土に返ったら

私は 俗なる私から

聖なる私 になる






草や花に食べられて

酸素になって

街中を巡り





日の光に

暖められた私は

空の 雲に乗って

雨になり

川の上流から

下流へ下流へと 流れて

やがて

大海に出る





死 という

終わりから始まる旅に

終わりはない





もう

悩みも苦しみも

何もない

大いなる旅





終わりから 始める旅








ぽちで救われる私がいます


にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ

にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 闇詩へ

にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログへ

にほんブログ村
タグ :

「当たり前」の輝き・その2

 2019-12-23
絹を引き取って、もうすぐ5年。

病弱だったこの子は、
結膜炎、口内炎、鼻づまり、
次々と、猫風邪の症状を発症し、
全ての症状が慢性化していき、薬が一生モノになりました。

更に8歳で尿管結石、腎臓結石も発症、
すっかり病気の子になりました。

痛がって、ごはんも食べなくなったこの子が不憫で
何度泣いたことでしょう。

お金も、怖いほどかかりました。


だけど、絹がいなかったら、
私はきっと、未だに
「当たり前」がどれだけ輝いているか、
気づくことはなかったでしょう。


皆が素通りしているその足元で
「当たり前」は、いつも奇跡のように輝いています。



どんなに踏んづけられても、名もない花は
毎年毎年、そのピンクの花びらを懸命に広げます。
皆、桜ばかりを愛でているけれど
見上げる視線のその下で、
名もない花は、必ず咲いているのです。

厚くどんよりとした曇天の空も、
その雲を突き抜ければ、いつでも真っ青な空です。

何万、何十万の時を経て、
夜空の星たちは、瞬いています。

冬の日差しは
どんなお屋敷にも、おんぼろのアパートにも
平等に、差し込みます。


そして絹は、今日もげんきちゃん!でいてくれます。

いつ失うかもわからない「げんき」だから、
大事に大事に、守りたい。

ずうっとげんきでいることは、
この子には難しいかも知れないから。

でも、もしも絹がまた、げんきを失ったら
そのときは、また二人で頑張って
げんき を取り戻したいと思います。

闘病 という言葉は、あまり好きではありません。
病気に抗うのではなくて、絹が楽になるように
病気と上手につきあっていきます。


何が幸せかなんて、よくわからないけれど、
ひとつだけ確かなことは、
「当たり前の暮らし」は、間違いなく幸せだということ。


それを教えてくれたのは
病弱な子、絹です。

私の娘です。



ちぬ・ねんねしとる









ぽちで救われる私がいます


にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・自作ポエムへ

にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 闇詩へ

にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログへ

にほんブログ村

タグ :
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫