苦しみの赤い血

 2020-01-16
赤い血と苦しみが

体中を 流れつづける






赤い血の中に 私の苦しみがある





だから この

心臓の鼓動を

止めない限り

苦しみも止まらない





中枢から末梢へ

末梢から中枢へ

赤い血と苦しみが

体中を流れつづける








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不安の花

 2020-01-10
冬の部屋には

不安の花が満開だ




理由もなく

訳もなく

ただ大きくなるばかりの

不安の花に

足もとを すくわれそうになる




不安の芽を

摘んでも

摘んでも

摘んだそばから

不安は すぐに

芽吹いてしまう




不安の花は

その名前や

季節が わからないと

余計に大きな花になる




不安の花の正体は

わかってしまえば

すぐに摘み取れるのに

なかなか摘めない

私の部屋

いちめんの不安の花






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ナレイ流パーソナリティ障害の概念

 2019-12-15
これはあくまで、私個人が考える、パーソナリティ障害の概念です。
自分の苦しみを、できるだけ主観を排した形で書いてみましてん。

人は、人として生きるために、
成長して行くに連れ、人それぞれのアイデンティティ、
人生観を構築し、それをいわば寄って立つ基盤として生活し、
対人関係を持つ。


それは様々な知識、経験、或いは直感、或いは感覚を伴った
揺るぎないその人のパーソナリティとして、
生きる上で、欠くことの出来ない
寄って立つ基盤とも言えよう。


この、「寄って立つ基盤」を大きく揺るがすのが
パーソナリティ障害である。

世界保健機関では
【「自分が自分であることそのもの」「生きることそのもの」、
つまりパーソナリティが
苦しみやつらさの中心であるとしか表現できないような状態】を、
「パーソナリティ障害」と位置付けている。

この「苦しみやつらさ」は、
おそらく早期の母子関係に起因すると思われるが、
正確には、確たる原因を持たず、特段の理由もなく
ただ「生きることが苦しい」状態が生きている限り継続する。

パーソナリティ障害の場合、
自我境界が曖昧となり、自他未分化なケースもあるが、
幻覚、幻聴、妄想を持つと言った、
主体を脅かす統合失調症などの精神病とも呼べない。
無論、脳気質疾患ではなく、遺伝的素因もない。

自我は、弱いとは言え正常に機能しており、
これと言った症状を持たない。
それは到底、周囲には理解され難い状態と言えよう。
そのことがまた、本人を苦悩に追い込む。


しかもこの「苦しみやつらさ」とは、
揺るぎない、その人の人生観の中に浸食するように入り込む。

依って、この「苦しみやつらさ」は、
自分が最も大切にしている人生観と、常に同居するという、
実に厄介な性質を持つ。

従って、パーソナリティ障害に「完治」はない。


とは言え、一部の精神療法によって、ある程度回復すること、
楽になることは、不可能ではない。
しかしながらその道のりは、その人生の大半を費やすほどに
果てしのない時間がかかるケースがあることもまた事実である。


いわば、最も大切な価値観の中に流れる赤い血と
混ざり合うように同居している、
パーソナリティ障害治療、回復への道は、
まさしく己の人生を賭けた、膨大なエネルギーを要する作業となる。


矛盾するようではあるが、
もしも患者本人が、病を「治そう」とすることをやめ、
病に抗うことなく、自然の流れに身を任せることが出来たなら
それこそが、回復への道を切り拓くものとなるであろう。








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苦しみ担当・その2

 2019-12-14
こうやって、休日の昼下がり
横になりながら青空を眺めていると
自分の長年の苦しみなど嘘のように、
穏やかです。


私の中には、価値観、こうありたいという生き方が
決して揺らがない「軸」として
赤い血と一緒に、体内を貫いています。

この「軸」を失ったら
私はもはや私ではなくなるでしょう。


しかし、私の長年の苦しみは
この「軸」の中に、赤い血とすっかり混ざり合っているのです。


だから、苦しみは決して絶えることがありません。


苦しみの血だけを抜いて欲しい。
しかし、それは「軸」の中で混ざり合っている限り
無理なことなのです。


平均寿命まで生きるとしたら、あと30年以上
私は苦しみつづけるでしょう。


赤い血と混ざり合った私の苦しみは
私の生命維持と同じように、
中枢から末梢へ、末梢から中枢へ
流れつづけて、私を苦しめるのです。


それが、私の病理であるならば、
完治することは、ありません。


それを思うと、いつも気が遠くなるけれど
きっと私は、苦しみつづけるしかないのでしょう。

あと30年、堪えきれる自信はとても
ありません。








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学習性無力のわたし(悲しみ慣れ・その2)

 2019-11-24
つらいこと

苦しいことばかりつづくと

学習性無力の犬のように

そこから逃れようとしなくなる

それを解決しなくなる





どこへ行っても

何を見ても

この苦しみが

やわらぐことなどないと

思い込んで





そして

いつもと同じ

この狭い部屋の片隅で

膝を抱えて

次々とやって来る

苦しみを

そのまま受けつづける





苦しみに 耐性がついてしまい

もう

苦しいのかそうでないかも

次第にわからなくなって行く






私でも

ちゃんと持っているはずの

苦しみを乗り越える力を

手放すな

必死でそう

自分に言って聞かせながら



フリー画像・孤独な女









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