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ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
昨日、ある方の話を聞いて思ったこと。

絶対にあきらめない!とか
最後まで闘う!とか
そんな言葉をよく耳にする。

そう言うことが必要な場合もあるだろう。
なんかの試合とか、スポーツや勝負の世界では。

(いや、勝負の世界でも究極は、勝つとか負けるとか、
どうでも良いと心底思えるようになったとき、初めて勝てるのかも知れない)

でも、生きる と言うことを考えたとき、

いっそ、全てあきらめる
何も求めない
ことのほうが、
もしかして、楽になれるんじゃないかなあ・・
そのほうが
ひとに対しても、寛容に、優しくなれるんじゃないかなあ・・
と言う気がしてならない。

どうしても
評価されたいとか、
愛されたいとか、
思ってしまう自分がまだまだいるけど、
それは、煩悩 ってやつなんだろうなあ、と。

神経症と言う病気は、煩悩の集大成みたいな病気だし。
囚われの病 と言われるように、
あらゆることにこだわって、囚われて
自分で自分を苦しみに追いやってる病気なんだろうと。

そんな自分を全部捨てられたら
きっと物凄く 楽 になれるんじゃないかなあ・・なんて。

DVDデッキがまたトラブル起こして録画出来なくて
イライラしながらお客様センターに電話していて
ふと思った。

こんなこと、実にどーでも良いことで
そんなことにいちいちこだわってるから疲れるんだろうなあ・・と。

今日のミッションは、私にとって大きいしキツい交渉ごとだけど、
そう考えたら、べつにただ淡々と、自分の言えることだけ言って
帰って来れば良いんじゃない?
結果が失敗でも成功でも、どっちでも良いことなんじゃないかなあ・・
なんて、思ったら、

大してキツいことでもないような
そんな気もして来た。

セラピスト・ハッチが言ってたことがあったっけ。
彼は森田療法家ではないけど
「結局は森田の言う、あるがまま・恐怖突入しかないんだよな」と。

私は森田療法支持でも何でもないし、
ハッチも同様。

だけど、これを 生きることに置き換えれば
その先には、楽 が待ってるんじゃないかと。

余計なものを求めない。
どんなことが起こっても、ただ淡々と受け止める。
求めなければ、受け止められるんじゃないかと。
あきらめれば、受け入れられるんじゃないかと。

生きることは
全てあきらめること
これ、楽になるためには
大事なことのような気がしてならない。
121226_0936~01



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FC2blog テーマ:生きること - ジャンル:心と身体

【2012/12/27 06:08】 | 考えるより感じること
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あきらめる
社会不安障害と向き合うの管理人
ナレイさん、お久しぶりです。
ブログ村のトラコミュで見つけました。

「あきらめる」ということ。

私もそれをほんの最近やっと学び始めました。

長いこと思考の癖があり、「絶対に成し遂げる」とか「全力以上の力を発揮する」などの囚われの中で生きてきて、結果として症状を悪化させていました。

現実をそのまま受け入れることを学び始めたら、途端に楽になり、さらには、囚われの中でひたすら頑張り続けていたら見えなかったものが見えてきて、仕事も好転し始めました。

まずはすべてをあきらめてみることが大事なこと。心の底から同感です。


Re: あきらめる
ナレイ
社会不安障害と向き合うの管理人さん

コメント、ありがとうございます。

お久しぶりです。

以前私もコメントさせて頂きましたが
なんて言うのかしら・・・・?
何かを成し遂げるために「絶対にあきらめない」姿勢と言うのも
ときに大事なのかも知れません。

例えば今、受験のシーズンで
私は去年の今頃受験直前で悶々としていました。
「合格」のためには試験を受けて、試験を受けるからには
最後まで「あきらめない」姿勢も大事なのかも。

でも究極を言えば、それも「囚われ」なんですよね。
受かりたい と思うのは当然だけど、
心底どっちでも良い(ヤケクソと言う意味でなく)と思えたら
合格 は後から着いて来るものなのかも知れないとさえ思えます。
(ちなみに、猛勉強した一昨年ー不合格・何も勉強しなかった去年ー合格でした)

そんなエラそうなことを言いつつ、私はまだまだ多くのことをあきらめきれずに
症状を持ったまま なんですけどね。
私の場合、単なる社会不安障害だけでなく、根深い人格の病理がありますから
そのお陰で、長引いている、と言うこともありますが。

でも、病気か病気でないかに関わらず
世の中で、一般的に「良きこと」とされている「あきらめない」姿勢。
これは私には全く逆のような気がしてなりません。

>現実をそのまま受け入れることを学び始めたら
どーーーーしても、皆これが出来ない、いや、したくないんだろうなあ・・・
と思えます。

現実の、ろくに何も出来ない自分を受け入れること、
無力な自分を受け入れること、
これは、口で言うほどたやすいことではありませんし、
私もまだまだ出来ていません。
が、これが出来たら
病気が治る、治らない でなく、

生きることが楽になる、と思っています。

あきらめることは、出来ない自分のままで良い
と言うことですからね。

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この記事へのコメント
あきらめる
ナレイさん、お久しぶりです。
ブログ村のトラコミュで見つけました。

「あきらめる」ということ。

私もそれをほんの最近やっと学び始めました。

長いこと思考の癖があり、「絶対に成し遂げる」とか「全力以上の力を発揮する」などの囚われの中で生きてきて、結果として症状を悪化させていました。

現実をそのまま受け入れることを学び始めたら、途端に楽になり、さらには、囚われの中でひたすら頑張り続けていたら見えなかったものが見えてきて、仕事も好転し始めました。

まずはすべてをあきらめてみることが大事なこと。心の底から同感です。
2013/01/13(Sun) 08:49 | URL  | 社会不安障害と向き合うの管理人 #-[ 編集]
Re: あきらめる
社会不安障害と向き合うの管理人さん

コメント、ありがとうございます。

お久しぶりです。

以前私もコメントさせて頂きましたが
なんて言うのかしら・・・・?
何かを成し遂げるために「絶対にあきらめない」姿勢と言うのも
ときに大事なのかも知れません。

例えば今、受験のシーズンで
私は去年の今頃受験直前で悶々としていました。
「合格」のためには試験を受けて、試験を受けるからには
最後まで「あきらめない」姿勢も大事なのかも。

でも究極を言えば、それも「囚われ」なんですよね。
受かりたい と思うのは当然だけど、
心底どっちでも良い(ヤケクソと言う意味でなく)と思えたら
合格 は後から着いて来るものなのかも知れないとさえ思えます。
(ちなみに、猛勉強した一昨年ー不合格・何も勉強しなかった去年ー合格でした)

そんなエラそうなことを言いつつ、私はまだまだ多くのことをあきらめきれずに
症状を持ったまま なんですけどね。
私の場合、単なる社会不安障害だけでなく、根深い人格の病理がありますから
そのお陰で、長引いている、と言うこともありますが。

でも、病気か病気でないかに関わらず
世の中で、一般的に「良きこと」とされている「あきらめない」姿勢。
これは私には全く逆のような気がしてなりません。

>現実をそのまま受け入れることを学び始めたら
どーーーーしても、皆これが出来ない、いや、したくないんだろうなあ・・・
と思えます。

現実の、ろくに何も出来ない自分を受け入れること、
無力な自分を受け入れること、
これは、口で言うほどたやすいことではありませんし、
私もまだまだ出来ていません。
が、これが出来たら
病気が治る、治らない でなく、

生きることが楽になる、と思っています。

あきらめることは、出来ない自分のままで良い
と言うことですからね。
2013/01/13(Sun) 13:53 | URL  | ナレイ #-[ 編集]
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