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ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
フレディは、亡くなってもう随分経つけれど
私は、ひとが亡くなった悲しみを
どうしても
「ご冥福をお祈り致します」
と表現したくなくて、昔から。
何か、形だけで気持ちが伴ってないみたいに聞こえて仕方なくて。
だからいつも、ひとの死に直面したとき、
何と言って良いかわからない。

愛する対象を亡くした人の前では何も言えない。
てか言わない。
ただ黙ってその人のそばにいるだけ。

どんな言葉も、
何の慰めにもならないことは
よくわかってるつもりだから。

冥福を祈る?
フレディは仏教じゃないから、冥福は祈らないわね。
じゃあ、例えば
哀悼の意を表する?
そりゃそうなんだけど
そうカンタンに行かない・・・
そんな気がして。

まだ11月なのに真冬のような寒さの東京。
部屋に飾ってるフレディの写真を
幾つもテーブルの上にかき集めて
抱きしめてみる。
♪Let us cling together as the years go by 
Oh my love my love

と言うフレディの声を聞きながら。

そうしていると
何だか暖まる気がして。

今日もどこかで誰かが生れて
どこかで誰かが死んで行く。

私は、冥福を祈らない。
お悔やみを申し上げない。
ただ失った人たちへの溢れる思いに包まれるだけ。
愛する対象を失った人の前では
ただ黙って
その悲しみに沿うだけ。
秋空


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FC2blog テーマ:生きること - ジャンル:心と身体

【2012/11/16 04:18】 | いのちの桜
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ここのところ全く進化しないママ(元進化するママ)
私観ですが。。。

誰かを亡くした圧倒的な痛みの前に、何も言えなくなるけれど。

私自身はいつの頃からか、すべての人がいつかは死んでいくということが救いになっていて。

「死にたい」と私に電話で呟いて、翌日にはこの世にいなかった20歳だった友。

大ゲンカのすぐ直後に交通事故に遭って逝ってしまったはじめての彼。

17歳でバイクの事故で逝ってしまった従兄弟。

前日一緒にお布団にくるまって寝た23歳のボランティア仲間は、翌日心臓発作で。

「大好きなのだ」とラブレターをくれた26歳のボランティア仲間も交通事故で。

秘かにときめいていた23歳のボランティア仲間は自分で。

両親はそれぞれガンで。

そして、老人ホームでは次々に人が亡くなっていく。

誰かを失うと相変わらず、痛いけれど。

私もいつか同じように死んでいくのだと思うと、心が少しやすらぐ。

痛みが強ければ強いほど、それほど愛する対象に出会えたことをありがたく思いつつ。

あまりにも痛いから、みんな死んでいくのだということが救いに感じています。

Re: やっぱり私にとっては進化ママ
ナレイ
コメント、ありがとう。

ママも、随分と沢山の大切な人たちを亡くしてるのね・・・。
痛いよね・・・・。

私は、この時期になると、痛さが増して仕方ないの。
あ、夏場もそうか。

でも
>私もいつか同じように死んでいくのだと思うと、心が少しやすらぐ。
私も、いつもこう考えるようにしています。

ただね、その「いつか」が一体いつ来るんだろう・・・と思うと
気が遠くなる。

こればかりはわからないよ。ママも、私も、誰でも。
明日かも知れないし、10年後かも知れない、20年後かも知れない。
それは誰にもわからない。

>すべての人がいつかは死んでいくということ
確かにそう。

だけど
>前日一緒にお布団にくるまって寝た23歳のボランティア仲間は、翌日心臓発作で。
この方と、私との違いは一体何なのだろう・・・?
なんて、どうしても考えてしまう。

10月7日のあの交通事故のとき、
私は死んでいても少しもおかしくなかったのに、なんてね。

でも、
そうだね。

私もママも、
いつか必ず大切だった人たちの元へ行ける。
私もその日を楽しみに待っています。




明日は我が身とは感じるけれども・・・
桜野らむね
この歳になると、
やはりある日突然亡くなる人も出てくる。

特にうつ病だと同じ病気仲間の自死が多いけれど
不慮の事故や病気で突然失うことも。

どういう形であれ、人はいつか寿命を迎えるし
それが何歳かなんてわからない。

救える命はあるだろうけど、
わたしは、自死を選んだ人を責めようとは思わない。
逃げ出したくなるほどつらかったんだし、
「生きて」なんていうほうが却って無責任かもしれない。
(決して、冷たく突き放すという意味ではないです)

もしわたしが自死を選んだ時に
死後に責められたりとかしたらご冥福も何もあったものじゃないわ。
辛いけどとにかくなんも楽しくないまま終わるのはいやだからわたしはまだ死なない♪

Re: 明日は我が身とは感じるけれども・・・
ナレイ
らむねっち
コメント、ありがとう。

そうね。
もうこの年になると、
周囲の大切な人を突然失ってもおかしくはない年齢なのよね、
それが病死にせよ、自死にせよ。

私はらむねっちより年齢も随分上やし。

>わたしは、自死を選んだ人を責めようとは思わない。
>逃げ出したくなるほどつらかったんだし、
>「生きて」なんていうほうが却って無責任かもしれない。
>(決して、冷たく突き放すという意味ではないです)
私もこの考えには全く同感。

自分が、出来ればいつも逃げ出したい、と思ってるからね。
それでもまだ逃げ出さない、いや、逃げ出せないでいるのは
自ら はいけない、とどっかで自分にストップかけてるんだと思う。

自分が親友に自殺をされてみて
誰も彼女を責めてはいないけど
自死は、周りが不幸になるから。

でも、本当に辛いときは
そんなことももう考えられなくなるんだと思う。

私はもう、
何も楽しくないまま終わっても良いんだけど
まだ、「いけない」と思えるゆとりがあるんでしょうね。
だから、死なない。

ただ、老いて、疎まれてまでは生きていたくないなあ・・
とは思う。




Re: 追伸
ナレイ
らむねっち

>もしわたしが自死を選んだ時に
>死後に責められたりとかしたらご冥福も何もあったものじゃないわ。

自殺されるとね、
その人を責める どころか
残された者は、
それぞれが自分を責めるんよ。

親友が死んだときも、
当時まだ健在だった母や彼女のご両親、
私、
皆、自分を責めていた。
「あのときもっと話を聞いてあげてたら」とか
「あのときもっとああしてたら」「あのときもっとこうしてたら」ってね。

私は未だに彼女を思い出すと自分を責める。

だから、自死は周りが不幸になるんよ。

それでも、自死を選ぶ人を
私は責めようとは思わないけどね。

生きることは辛いから。

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コメント
この記事へのコメント
私観ですが。。。

誰かを亡くした圧倒的な痛みの前に、何も言えなくなるけれど。

私自身はいつの頃からか、すべての人がいつかは死んでいくということが救いになっていて。

「死にたい」と私に電話で呟いて、翌日にはこの世にいなかった20歳だった友。

大ゲンカのすぐ直後に交通事故に遭って逝ってしまったはじめての彼。

17歳でバイクの事故で逝ってしまった従兄弟。

前日一緒にお布団にくるまって寝た23歳のボランティア仲間は、翌日心臓発作で。

「大好きなのだ」とラブレターをくれた26歳のボランティア仲間も交通事故で。

秘かにときめいていた23歳のボランティア仲間は自分で。

両親はそれぞれガンで。

そして、老人ホームでは次々に人が亡くなっていく。

誰かを失うと相変わらず、痛いけれど。

私もいつか同じように死んでいくのだと思うと、心が少しやすらぐ。

痛みが強ければ強いほど、それほど愛する対象に出会えたことをありがたく思いつつ。

あまりにも痛いから、みんな死んでいくのだということが救いに感じています。
2012/11/16(Fri) 09:11 | URL  | ここのところ全く進化しないママ(元進化するママ) #-[ 編集]
Re: やっぱり私にとっては進化ママ
コメント、ありがとう。

ママも、随分と沢山の大切な人たちを亡くしてるのね・・・。
痛いよね・・・・。

私は、この時期になると、痛さが増して仕方ないの。
あ、夏場もそうか。

でも
>私もいつか同じように死んでいくのだと思うと、心が少しやすらぐ。
私も、いつもこう考えるようにしています。

ただね、その「いつか」が一体いつ来るんだろう・・・と思うと
気が遠くなる。

こればかりはわからないよ。ママも、私も、誰でも。
明日かも知れないし、10年後かも知れない、20年後かも知れない。
それは誰にもわからない。

>すべての人がいつかは死んでいくということ
確かにそう。

だけど
>前日一緒にお布団にくるまって寝た23歳のボランティア仲間は、翌日心臓発作で。
この方と、私との違いは一体何なのだろう・・・?
なんて、どうしても考えてしまう。

10月7日のあの交通事故のとき、
私は死んでいても少しもおかしくなかったのに、なんてね。

でも、
そうだね。

私もママも、
いつか必ず大切だった人たちの元へ行ける。
私もその日を楽しみに待っています。


2012/11/16(Fri) 09:35 | URL  | ナレイ #-[ 編集]
明日は我が身とは感じるけれども・・・
この歳になると、
やはりある日突然亡くなる人も出てくる。

特にうつ病だと同じ病気仲間の自死が多いけれど
不慮の事故や病気で突然失うことも。

どういう形であれ、人はいつか寿命を迎えるし
それが何歳かなんてわからない。

救える命はあるだろうけど、
わたしは、自死を選んだ人を責めようとは思わない。
逃げ出したくなるほどつらかったんだし、
「生きて」なんていうほうが却って無責任かもしれない。
(決して、冷たく突き放すという意味ではないです)

もしわたしが自死を選んだ時に
死後に責められたりとかしたらご冥福も何もあったものじゃないわ。
辛いけどとにかくなんも楽しくないまま終わるのはいやだからわたしはまだ死なない♪
2012/11/16(Fri) 18:01 | URL  | 桜野らむね #-[ 編集]
Re: 明日は我が身とは感じるけれども・・・
らむねっち
コメント、ありがとう。

そうね。
もうこの年になると、
周囲の大切な人を突然失ってもおかしくはない年齢なのよね、
それが病死にせよ、自死にせよ。

私はらむねっちより年齢も随分上やし。

>わたしは、自死を選んだ人を責めようとは思わない。
>逃げ出したくなるほどつらかったんだし、
>「生きて」なんていうほうが却って無責任かもしれない。
>(決して、冷たく突き放すという意味ではないです)
私もこの考えには全く同感。

自分が、出来ればいつも逃げ出したい、と思ってるからね。
それでもまだ逃げ出さない、いや、逃げ出せないでいるのは
自ら はいけない、とどっかで自分にストップかけてるんだと思う。

自分が親友に自殺をされてみて
誰も彼女を責めてはいないけど
自死は、周りが不幸になるから。

でも、本当に辛いときは
そんなことももう考えられなくなるんだと思う。

私はもう、
何も楽しくないまま終わっても良いんだけど
まだ、「いけない」と思えるゆとりがあるんでしょうね。
だから、死なない。

ただ、老いて、疎まれてまでは生きていたくないなあ・・
とは思う。


2012/11/16(Fri) 18:29 | URL  | ナレイ #-[ 編集]
Re: 追伸
らむねっち

>もしわたしが自死を選んだ時に
>死後に責められたりとかしたらご冥福も何もあったものじゃないわ。

自殺されるとね、
その人を責める どころか
残された者は、
それぞれが自分を責めるんよ。

親友が死んだときも、
当時まだ健在だった母や彼女のご両親、
私、
皆、自分を責めていた。
「あのときもっと話を聞いてあげてたら」とか
「あのときもっとああしてたら」「あのときもっとこうしてたら」ってね。

私は未だに彼女を思い出すと自分を責める。

だから、自死は周りが不幸になるんよ。

それでも、自死を選ぶ人を
私は責めようとは思わないけどね。

生きることは辛いから。
2012/11/16(Fri) 19:11 | URL  | ナレイ #-[ 編集]
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