深層への旅
昨日はセラピーの日でした。
もう20年ぐらいでしょうか。
通いつづけています。
「カウンセリングって何でも話を聴いてくれて
優しくしてくれて、共感してくれるんでしょ?」
とか、よく言われます。
が、セラピーは、そんなぬるいもんじゃないです。
むしろ厳しい・・・!
いちいち痛いです。
何を話しても良いのですが、
何を言っても、常に私の問題(良い悪いではなく)として、
ときにキツい言葉を、我がセラピスト・ハッチは
ぶつけて来ます。
「こないだマリコが@@@@@とか言ったんだよ!ムカつく!
もう話してていやんなったよ」
とか言っても、
「そうなの?それはムカつくよねえ、酷い人だねー」
なんて絶対に言ってくれません。
「それって、マリコさんの問題じゃなくてさ、
ナレイさんがマリコさんに反応してんでしょ?
マリコさんの言葉に、自分を見てるから
ムカついたんでしょ?」
まあこんな単純な内容ではないけど、
喩えるならそんなカンジ・・・・・。
いたい・・・!なんでそう痛いことばっか言うの・・?
と思いますが、
ハッチの言葉は、私の心の的のまん真ん中を、常に射抜くので
認めざるを得ないんです。
厳しいけれど、そんなやり取りの根底に流れるのは、
常に 深い共感 です。
だから私は、セラピーをつづけられるんです。
自分の問題を二人で見つめる作業は、
楽になるためには必須です。
病気じゃない人は、日頃から、
先ず自分の問題を見るなんてないと思います。
自分の問題を見ない方が楽です。
でも、私は見ない訳に行きません。
ハッチは、
私の深層に、灯りをともしてくれる大事な存在です。
私の中に眠る解決策を目指して、共に旅してくれる人。
ひとのせいにするほうがずっと楽に思えるけれど、
病気でも病気じゃなくても、
自分の問題を見つめることは、自分が変われる、、
そしてやがては楽に至る、大切な作業です。
私とハッチの旅は、まだまだつづきます。
あ、いたい~~~~~!!!
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「カウンセリングって何でも話を聴いてくれて
優しくしてくれて、共感してくれるんでしょ?」
とか、よく言われます。
が、セラピーは、そんなぬるいもんじゃないです。
むしろ厳しい・・・!
いちいち痛いです。
何を話しても良いのですが、
何を言っても、常に私の問題(良い悪いではなく)として、
ときにキツい言葉を、我がセラピスト・ハッチは
ぶつけて来ます。
「こないだマリコが@@@@@とか言ったんだよ!ムカつく!
もう話してていやんなったよ」
とか言っても、
「そうなの?それはムカつくよねえ、酷い人だねー」
なんて絶対に言ってくれません。
「それって、マリコさんの問題じゃなくてさ、
ナレイさんがマリコさんに反応してんでしょ?
マリコさんの言葉に、自分を見てるから
ムカついたんでしょ?」
まあこんな単純な内容ではないけど、
喩えるならそんなカンジ・・・・・。
いたい・・・!なんでそう痛いことばっか言うの・・?
と思いますが、
ハッチの言葉は、私の心の的のまん真ん中を、常に射抜くので
認めざるを得ないんです。
厳しいけれど、そんなやり取りの根底に流れるのは、
常に 深い共感 です。
だから私は、セラピーをつづけられるんです。
自分の問題を二人で見つめる作業は、
楽になるためには必須です。
病気じゃない人は、日頃から、
先ず自分の問題を見るなんてないと思います。
自分の問題を見ない方が楽です。
でも、私は見ない訳に行きません。
ハッチは、
私の深層に、灯りをともしてくれる大事な存在です。
私の中に眠る解決策を目指して、共に旅してくれる人。
ひとのせいにするほうがずっと楽に思えるけれど、
病気でも病気じゃなくても、
自分の問題を見つめることは、自分が変われる、、
そしてやがては楽に至る、大切な作業です。
私とハッチの旅は、まだまだつづきます。
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