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PSW(精神保健福祉士)

私とダチョウとネグレクト

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当時の私が通っていた支援センターでは、幅広くどなたでも受け入れる 
と言うのが、 所長であるボスの方針だった。

よって、センターには精神障害だけでなく、アルコール依存の人は勿論、
ネグレクトの子供たちや、ときにはホームレスの人まで、
本当に幅広く様々な人が来所していた。

その中にいた、ネグレクトの子たち、
正確には、ネグレクトに近い状態 の子たち。
兄妹で、上から、サラ・5歳、カズト・2歳、ミク・1歳(全て仮名)、と3人・・・・。
まだ乳児の二人を、サラが引き連れてやって来るのだった。

サラのとかされていない、飯粒のこびりついた長い髪、汚れた服、
裸足の足の裏から、明らかに風呂に入れてもらっていないことがわかった。

私は元々子供は好きではない。が、サラのそんな姿が切なくて
何気なく
今日、ご飯食べたの?
と尋ねると、
たべたよ・・・からあげ。
その答えから、惣菜を買って置いておくのだろうと想像する。

サラは決して母親を悪く言わない。当然のことながら。
私たちもまた、責めたりは出来なかった。
ある程度の事情を把握してはいたが、
5歳のサラにとって、母親は唯一絶対の存在に違いないのだから。

サラは、ボスが大好きで、初めて「ここの所長さんよ」と紹介されたとき、
しょちょう の意味がわからず、以来ボスを ダチョウ と呼んで懐いていた。

ボスにまとわりついて甘える。
ダチョウ、あそぼう~と。

しかしサラは、5歳にして既に世渡りの術を身に付けていた。
いや、その環境から身に付けざるを得なかったと言った方が正確だろう。

私や他の女性スタッフ、利用者をオバさんとは決して呼ばず、名前で呼ぶ。
母親からそう言われていたのかも知れないが、
それ以上に、あの聞き分けの良さや、大人の顔色を見て行動する彼女は、
既に世渡りの術を身に付けており、

私には、それが、悲しかった。

サラはそれを敏感に感じるのか、ダチョウが忙しいと私の元へ来る。
ナレイさん、おうちごっこしよう~
ええ?またあー?もうやったじゃーん、さっきーやだよもう~
もういっかいだけ、やろう~
わかった!はい!サラ!朝よ起きて!早く起きないと学校間に合わないわよ!
んー・・・ねむいよお・・おかあさん・・
早く早く!朝ごはん!食べちゃいなさい!

フツーのおうちの朝から晩までを何度も何度も繰り返す、おうちごっこ。
広告をちぎった目玉焼きと新聞紙のふとん。

サラはそんな当たり前の母親とのやりとりを求めていたのだろうか。

他の利用者に、「子供がうるさくて話ができない」と言われたときは、
ボスはサラたちを引き連れて外へ出る。
いくら聞き分けがいいと言っても、5歳では確かにうるさい。

ある日、ボスがサラとカズトを連れて、
近所のペットショップへイヌを見に連れて行くと言う。
ナレイさんもいこう~
カズトがダチョウとてをつなぐから、あたしがナレイさんとてをつなぐのね!


サラは、そこに束の間の 家族 を求めたのだろう。
ダチョウがお父さん、ナレイさんがお母さん、
その子供たち、自分とカズト・・・。

しかしその束の間の擬似家族は、私の思いとも重なった。
ペットショップの店長に、「お子さんですか?」と問われたとき、
本当に家族だったらな・・・と思った私。

サラ、あなたの本当の事情はわからないけれど、
孤独な私は、あのとき、あなたと同じものを求めていたのかも知れないね・・・。

互いに足りない何かを埋め合わせるように、手を繋いでいた私とサラ。

ボスの、幅広く誰でも受け入れる方針の意味が、そこに垣間見えた時間。

そしてサラ、今頃成長しているであろう貴女、
良い子なんかじゃなくていい。
どうか捻じ曲がらずに、本当のお母さんの元から、
お母さんの本物のご飯を食べて、学校へ通っていて欲しいと
切に願う。

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