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ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
フツーの人が
人生の間で主役になれるのは3度 と言われてるよね。
生れたときと、結婚式のとき、葬式のとき。
生まれたときと葬式のときは本人わかんないから、
唯一主役になれるのが結婚式なんだけど、

着てみたかったなあ・・・白いウエディングドレス。

いや今どきは、まだまだこれからわからないよ~
なんて周囲は言ってくれるけど

私はもう本当に愛する人に出会えることはないかも知れない。

ま、もうわからない、と言っても
せめて葬式のときに
ウエディングドレスを旅支度にしておくれ。
と言っても、
あんなもんを死後の身体に着せるのは大変なこっちゃ!
なのは、経験上、よーーくわかってる。
ばあさんにウエディングドレスはキモいけど、
そこまで生きる気もないんで。

こっちが「これを着せてあげて・・」なんて言ってるそばから
ナースは「これにしましょうね!」とか、
そこら辺の売店の浴衣で済まそうとするんだよ。
あの手の浴衣がいちばん着せやすいから。

でも、若い女の子が亡くなったときは
お母さんが、着せて欲しいと言って
可愛らしい、良い生地の浴衣、下着から何から
全部揃えて持って来たことがあったね。
そりゃあ、親としては、娘に先に逝かれた悲しみに堪えながら、
せめてもの、当然の思いなのだろう・・・と、
汗だくになって、ナースと二人、一生懸命着せたっけね。

ホスピスとか、緩和ケア病棟でもない限り、
死んだ途端にとんでもないスピードで追い出されるのがオチなんで、

こっちが先に葬儀屋を決めておくに限る。
(金がなくても区民葬・市民葬で安く出来る。
役所に電話すれば委託の葬儀屋を教えてくれるよ。)
葬儀屋に着いてしまえば、死亡届け、埋葬許可書、
諸々のことはやってくれるんでね。

葬式なんかしなくていい!と言う人は多いし、
私もそう思ってる。
けど、
葬式ってのは、
死んだ人のため と言うより
生きる人のため にやるものなんだよね。

残された人たちが、これまでのその人のいた現実から
その人のいない現実へ
自我の組み換えの儀式 なんだと。
母が死んだとき、そのことを実感した。
やらない訳にはいかなかった。
みんなの気が済まなくて。

私のときはまあ、そんなに大したこともないと思うけど
葬儀屋に迎えに来てもらったら、
そっちでゆっくりと
せめて棺の中にドレスをかけてやってくれ。

それが私の旅支度。
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【2011/09/20 07:25】 | いのちの桜
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