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ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
主観と客観。
この区別は哲学的には大論争となってしまうが、
一般的には、さして困難なことではないだろう。

主観的には自分はこう思えるけれど、
客観的事実としては、
そんなに大したことではないんだろうな、とか

自他の区別がつく大抵の場合は、
無自覚のうちにこの判別がつく。

私の気にし過ぎなのね、とか
俺がこだわってるだけ と言った具合に。

ところがこの 自他の区別が曖昧になると
全て主観で物事が周っていると考え出す。

「あの人がいつも怒ってるから
ワタシの症状がヒドくなった。
部屋を替えて欲しい」と、
病棟などでは訴え出す患者も多数いて、

聞く側もまたそれを鵜呑みにする・・・

それが 客観的事実か否かもわからないのに、

その人の 主観 でのみ
物事が周っているように考える。

そんな中で一貫して「我関せず」
な態度を取り続けていると、

主観でのみ物事を考える人たちは
自分の中に「こうあって欲しいナレイ像」を
投影し、
持ち上げたり、貶めたりを繰り返す。

上げたり下げたり、洗濯物みたいねー
と、毎回思う次第である。

無論、私も他者の中に
「こうなりたい自分」をしばしば投影する。
そんなときは、その人に無性に腹が立って
たまらないものである。

しかし、幸いなことに常に私のそばには
「それは○○さんの問題じゃないでしょ?」
と、見えない糸をそっと引くように
私自身に戻してくれる専門家がいてくれた。

私の見ている空と、
あなたの見ている空は、きっと、違う。

ひとは誰しも
主観と言うフィルターを通してしか
周囲を見られないものではあるが、

せめて、主観と
客観的事実とのブレ くらいは
知っておきたいものである。
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【2011/04/18 14:15】 | 未分類
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