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ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
私は、昭和37年生まれ。

大阪万博、両親に無理矢理連れて行かれ、太陽の塔の前で、記念写真。

当時7歳のクセして私は、「混んでて、並びに行っても仕方ないし」
とか既に思ってた。

9歳のとき、オイルショック・町の店中からちり紙は消え、
子供心に、呆れた。

あさま山荘事件の日は、一日中家族でテレビに釘付け。

「どうしてこうゆうことをするひとがいるの? せきぐんは ってなあに?」
と、素朴に問う私に、

母親は、なんかわかりやすく説明してくれてたけど、意味はわからず。

学生運動が盛んになり、
三島由紀夫が自決した様子もテレビで観ていて

「このひとはなんでひとのまえでじさつなんかするの? うよくってなあに? 」

と、問う私にやはり母は、わかりやすく説明をしてくれた。
8歳かそこらの子にいちいちきちんと説明をしてくれる辺りが母らしい。

ディスコブーム、 シラケの世代と呼ばれ、
私が二十歳の頃、新人類 が、当時の流行語に。

そして、忘れもしない。
昭和64年1月7日・わたしは既に27歳。
その日は彼氏がうちに泊まっていて、休日だった。
私も、彼も寝ていたので覚えている。

母が
「天皇が死んだって! 」
と。

私も、日頃起きない彼氏も飛び起きた。
そして、一日中テレビに釘付けになり。

天皇陛下におかせられましては、本日6時33分、
吹上御所において、崩御あらせられました。


と、宮内庁の職員。

「ほうぎょ って、ゆうんだあ・・・お亡くなりに じゃダメなの? 」
「へえ・・・あらせられ、おかせられ って・・・絶対敬語なんだろうけど、
やり過ぎじゃないかね?」
「うん・・・おかせられ、って言われてもねえ・・・
もっとふつーでいいじゃんねえ・・・」
「でも、元号が、変わるのね・・・歴史が変わる・・・
昭和が、終ったの?これで・・・ 」

と、3人でなんとも複雑ながら、夢中でテレビを観ていた。
戦争を経験し、東京大空襲の直撃を受け、まさに激動の昭和を生きた
母の胸中は、もっと複雑だったろう。

それまで、毎日のように「天皇陛下のご容態」は各局で放送されていたので
皆、口にしないだけで解っていた。

そして号外、翌日の新聞では
天皇陛下崩御・激動の昭和終わる

の一面ぶち抜き文字・一紙全てが昭和天皇記事。

大手企業や近所のスーパーが皆、静まり返り
黒い喪章を付けた日の丸を揚げ・・・・かなり異様としか思えないムード。

国中があらゆる思いを抱きつつ、何も言ってはいけない、と言う空気・・・。

そして、当時の小渕官房長官が
新しい元号は、平成であります
と。

高度経済成長と共に、成長した我々世代。

今のように、人工的に作られた不自然に美しい公園などなかったけれど、
ゲームも何もなかったけれど
林に入れば、そこは宝庫。

基地を作り、夏はクワガタやカブト虫を捕まえ。

みんなが貧乏なのは当たり前で
なのに、今より大人たちが生き生きと見えた。

私たち子供には子供たちだけの社会があって、
男の子も女の子も、

今よりずーっとみすぼらしい格好で、鼻垂れ小僧もいたし、、
ズボンの膝に穴が空いたらつぎあてして履くのがふつーだったけれど、

何故か、今の子たちより、きらきらと輝いているように
私には、見えて、

そんな昭和の社会が、たまらなく好きだった私。

「21世紀を見ることはもうないかも知れない」と、よく言っていた母だったけれど
あんなに急に死なれるとは思わなかったけれど、

この時代を見ていたら、母は一体、何と言うのだろうね・・・。

自然に行けば、
私は今上天皇(きんじょうてんのう)より長く生きることになるけれど、
出来ればその前に、この世からは、おさらばしたいもんだ。

110705_1613~01
当時の黄ばんだ新聞には、1989年(昭和64年)1月7日土曜日 
と記載されている。

(2010.11.3一部訂正・加筆)

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【2011/07/05 07:01】 | 「軽い変態」から見る社会
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