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ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
※これは、新着記事ではありません。
新着記事はこの下からお読みください。

ちょっとこの記事は、自分が死にたくなったとき
いつも読めるように、トップに持って来ました。



こんなに苦しいだけの毎日で

なぜ死んではいけないのか、
私なりに考えてみた。


毎年のことだけど
昨日は、戦争もののドラマを散々観て、
むせび泣いていた。
母に聞かされた戦時中の話と
ドラマのあらゆる場面が重なる。

だから、どの場面もリアルに映って
毎年毎年恒例の行事みたいに、むせび泣く。


ドラマの中の台詞にも出て来たけど
私も、ときどき思うこと。

いつも死にたいとき
何が私を引き止めるのか

それはきっと、わたし という存在は
私一人で、ぽとっと産まれて来た訳じゃなくて
お父さんとお母さんがいたから、なんだよね。
お父さんとお母さんは
おじいちゃんとおばあちゃんがいたから産まれた。

おじいちゃんとおばあちゃんは
そのお父さんとお母さんから
産まれたんだよね。

そして、そのお父さんとお母さんは、
そのまたお父さんとお母さんから、産まれた。

そうやって考えて行くと、
わたし という存在は、
実に、百人、千人という祖先のいのちがあって
初めて産まれたのだと。


母から何百回も聞かされた戦時中の話、
誰もが必死で生きながら、
死にたくないと思いながら、死んで行った。

何ひとつ悪いことなどしていないのに
一瞬のうちに、青空を真っ黒に染められ
爆風に吹き飛ばされて、黒い雨に打たれた人がいる。

ただ、ささやかな幸せを大事にしていただけなのに
火の海になぎ倒された人がいる。

僅か二十歳や21で、特攻機に片道分の燃料だけを積んで
太平洋上に突っ込んだ人がいる。

一生懸命生きていただけなのに
あの空に、消えて行った人たちが沢山いる。


わたし という存在は、
私だけでは、産まれることがなかった。

そんな沢山の人たちの悲しい歴史の上に、初めて
わたし が存在する。


その人たちに思いを馳せるとき、
そんな簡単に死んでもいいの?
苦しいからと言って死ぬことは

過去の沢山の人たちの いのちを
踏みにじる行為ではないの?

そんな風にも思えて。



我が家には、過去帳というものがあります。
過去帳には、
その家の先祖の俗名と享年が書かれています。

その名前を見る度
会いたくて、たまらなくなります。

信次郎 とか、ふさ とか、
この人は、私にとってどんな存在の人だったのか
無性に知りたくなります。



一人勝手に死ぬことは、
この、過去の沢山のいのちを
裏切り、踏みにじることなのではないかと。


そう思ったら、
どんなに苦しくても
生きて行かなくてはいかんのじゃないかと。


生きることはつらいです。苦しいです。
でも、過去にはもっと苦しんで、
それでも生きようとしていた人がいたのだと。


だとしたら、そんな簡単に
このいのちを絶ってはいけないんじゃないだろうか。

昨日は、嗚咽しながら
そんなことを、ふと思いました。


亡き母が、言っていました。
東京大空襲のあと、一面焼け野原に立ったとき
本当に、見事に何もなくなって、
母の住む向島から、山の手の焼け残ったビルが見えた、と。

「ここまで何もなくなると、いっそ気持ち良かったわよ」と。



フリー画像・ぼやけたろうそくの火


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【2030/03/01 00:03】 | いのちの桜
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