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ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
「それぞれの違いを認める」
って、よく言うけれど
それ、もう聞き飽きた。

朝生の教育問題のときに出た意見なんだけど

それ、私が二十歳くらいの頃から
何十年もみんな言ってない・・・・?
「それぞれの違いを認める」とか
「多様化した社会だから」とか。
みたいなことをね。

私は嫌いなもんは嫌いだ。
多様化なんて、もう当たり前じゃないか。

一方で、「言葉の暴力」とは
本人が「暴力」と感じたらそれはもう
「暴力」になるって話もある意味困ったもんだと思う。
議論の中でそれ、持ち出されたら
もうみんな黙る しかなくなっちゃうもんね

ただね、言葉 というのは
そもそも、いつでも
人を傷つける危険性を孕んでいる
それを忘れてはいけないということ、
ここさえ押さえておけば良い。

「それぞれの違いを認める」
「それぞれの違いを認める」
「それぞれの違いを認める」
「それぞれの違いを認める」
「それぞれの違いを認める」
「南無妙法蓮華経」

ってもう「お題目」みたいだよ。

未だにそんなこと言い続けるってことは、

「それぞれの違いを認めない」

ということの「反動形成」なんじゃないかと
思ってしまう。

本当に違いを認めていたら
わざわざ言う?そんなこと強調して。
やっぱりどこかで認めたくないんだよ。
それぞれの違いを。

耳に心地良い言葉は好きじゃない。
むしろ極論するほうが好き。
過激な意見のほうが好き。

杉並区立和田中学校を
画期的な方針で変えた、藤原和博氏が
言ってたけど

「日本は みんななかよくげんきよく なんですよ」
と。
私の時代から根底にいつもそれがあったけど
これはもうねえ、

日本の教育が間違ってたんだと思う。

「それぞれの違いを認める」が
本当の意味で、
この日本には根づいてないんだね。

だから安っぽいヒューマニズムを
振りかざす人は言い続ける。

「それぞれの違いを認める」と。

うんざりするわー







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FC2blog テーマ:エッセイ・散文 - ジャンル:小説・文学

【2015/07/22 00:32】 | 「軽い変態」から見る社会
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