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ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
毎日が 命日なんです

毎日が 喪中なんです

毎日が 喪主なんです







だから

遊びに行くことも

旅行に出ることも

一切 ないんです







悲しくても

喪主の私は

悲しむ暇もない

頭はパンパンに張り詰めています






何もかも 失くしました

恋も 夢も 大切な人も

みんな





線香のけむりが

ひとすじの光みたいに

部屋の中を

つたって行きます

毎日

喪に 服しています

黒い服しか 

着ていません






毎日が 命日なんです

毎日が 喪中なんです

毎日が 喪主なんです



銀の燭台








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【2019/10/07 00:03】 | 神経症
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「絶望」を辞書で調べてみると

【望が絶えること。
期待・希望が持てなくなることである。
今までの考えが負の方向に大きく変わった様子。】
とある。

まさに読んで字の如くだ。

しかし私にはどうしても
「希望」と聞くと、
とても浅薄で、表層的に聞こえて仕方ない。

それにしても、やはり人と言うのは、
何事かを未来に見据えて、
そこを目指していないと、
歩いて行かれないのは、事実なのだろう。
いや、それもどうかな。
先に目指すものなんて要らない気も。

私の場合は、多分生まれ落ちて間もない頃から
人生が既に負の方向に向いていたので
「絶望」が、もはや日常になっている。

しかし、私の絶望は
全然、「価値のある絶望」になっていないと感じる。
ほぼ人生の大半を、精神の病に苦しんで来たけれど
それが何なんだ?と思う。

いや、そりゃあ辛いし、
その苦しみは、筆舌に尽くし難い
神経症を長く患っている人なら、容易に理解できる筈だ。

ただ、神経症というのは、
自ら苦しみを作り出すのが特徴だから
それをやめることさえ出来れば、すぐに楽になる。

ところがこればかりは、簡単にはやめられない
というのが困った所でもある。
やめられないから病だと、逆にも言える訳で。
なので私は、希望より夢より
「価値のある絶望」について、よく考える。

人は、深い淵に落ち、何も見えない闇の中では
きっと本能的に灯りを求めるだろう。
手探りして、必死で灯りを探すだろう。
必死で助けを呼ぶだろう。

そこでもし、灯りを見つけられたなら
それこそが「いのちの力」であり、
この深い淵をこそ、「価値のある絶望」
と呼ぶのだろう。

つまり、辞書に沿って言えば
負の方向にいながらにして

正でも負でもない、自分を超えた道、
大いなる世界へと通じる道を、見つけたときこそ
絶望は、価値のあるものとなり
小さな灯りが、大きく輝くのだと思う。

それは、そこそこの希望とやらを持っている人には
決して見えない灯りだ。
深い淵の中でしか、掴めない灯りなのだから。

つまらない絶望や薄っぺらな希望にばかり
囚われていないで
もっともっと深い淵へ落ちて行けば良いと思う。

そこで灯りを見つけられるかどうかは
私の「いのちの力」次第 ということになろう。

闇しか見えない深い淵で
灯りも、食べる物もなく
朽ち果てて終わりかも知れない。
それならそれで良いじゃないか。

とにかくもっと落ちてみなければ
「価値のある絶望」には
到底、辿り着けない。







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【2019/09/06 00:03】 | 神経症
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ネガティブとかポジティブとか
そんなのどっちでもいんだよねーべつに。

私のように
何のアクションも起こさない者ほど
承認欲求は強くて
いつも周囲に認められたい思いでいっぱいなんだ。

いやらしいね。

病気を言い訳にしたくない。

たとえ、ずーっと緊張し続けていても
眠れない毎日でも、
それがどれだけきつくても、
自分さえその気になれば
アクションは起こせるはず。

ただ 敢えて言わせてもらえるとすれば、
基本的不信から始めた人生、
自己否定から始めた人生では、
その逆の人より、生きる道は何十倍も苦しくなる。

この世に何の拠り所もない ということだから。
この世界に、受け容れてもらえない、と思ってしまうから。

自分の病理の原発巣はどこだか、何なのかは
もうわかってる。

でも、そこが外科手術と違う所で、
いきなり癌の原発巣切除Opeなんかしてしまうと、
精神のバランスをもっと崩すことになってしまう。

そして、それは知的認識でしかないので
未だ解決には至らない。

で、またこういう自己分析を活字にすると、
それがまた「知性化」という厄介な防衛になってしまうので
ほんとは書かないほうがいいんだけどね。

だから私はひたすら、自分の深層や苦しみ、悲しみを
詩 という表現で綴ってるんだよね。


支配や依存ばかり他者に求めないで。
セラピスト・ハッチの言葉を思い出して。

自分自身と対峙するセラピーを通して
自分の生き方を、必死で模索する私と
共に歩んでくれるハッチの言葉は
いつも重みを持って私に響く。

ひとは、
自分は一人だと、ちゃんと感じられるから、
誰かと生きて行くことができる。

一人でいられることと、誰かと一緒にいられることは
比例する。


苦しみだけの人生でも
そこから脱する道は、
セラピストにも、どんな学者にも教えてはもらえないよ。

自分自身で切り拓くしかないんだよ。

どんなに苦しくてもね。


海辺にて4











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【2019/08/20 00:03】 | 神経症
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死神さまの お誘いを

ただこうやって

待つしかないの?

死神さまの

吐息の風に

吹かれぬように

窓を閉ざしておきましょう







死神さまの囁く声は

甘くって

とても上手なお誘いで

その囁きに

心は 大きく

激しく揺れる






そのお誘いは 魅力的

「こちらはとても

楽ですよ

悩みも何もありません

さあどうぞ いらっしゃい」と

優しい声で

呼ばれると

この身を どうぞと

差し出したくなる

行っちゃ駄目よと

この部屋に

必死で とどまる

葛藤の日々






死神さまのお誘いを

断り続けているけれど

わからなくなるときがある






無価値な いのちに

無意味な 存在

ならば

あの お誘いに

乗って行っても

良いんじゃないかと

思ったり





死神さまのお誘いを

断る理由を 探してる

この部屋に

ただ とどまりながら

断る理由を

探してる







カラスが カカカと

鳴いている

私を

嘲笑するように



フリー画像・夏の夜








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【2019/08/10 00:03】 | 神経症
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また

ふらふらと

過去をうろついている

自分を 見つけた





私の糸は

どこにも

誰とも

つながっていないから

すぐに

行方不明になる






寄る辺を 持たぬ

根なし草

風まかせ

尽きることのない

不安





不安に 堪えて

また 私は

どこへやら

私自身にも

わからない



フリー画像レースのカーテンと街燈








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【2019/07/11 00:03】 | 神経症
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