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ほぼ廃人と化した女が吐く、ネガティブ詩や散文
皆、自分だけは「特別」だと思ってるでしょう。
他のやつらなんかより、自分のほうがイケてる
そう思ってる。

私だって、自分を「雑魚」だの「みじんこ」だのと
言いながら、やっぱりどこかで「特別」だと思ってる。


それは、必ずしも悪いことではない。
健康な自己愛は、誰にとっても必要なものだから。


問題なのは、過剰な自己愛。

自己愛が過剰になると、
他人からも「特別」だと思われたい、
もっと褒められたい、
もっと認められたい、その思いが強くなる。
そしてその思いは際限がない。


でも、自分が誰か、友達でも職場の人でもいい、
その人を「この人は特別だ」とは、
あまり思わないでしょう?

勿論、中には、本当に有能だったり
人間性の優れた人に対しては、特別だと思うこともあるけれど、


ひとのことは、さほど思わないでしょう?
あいつは雑魚だ、と思ったりするでしょう?

そゆこと。

つまり、自分が思うほど、自分は「特別」なんかじゃない
ってこと。

自分のことって、客観「的」に見ることは出来ても
完全に客観視 はできない。

私には「わたし」という「主観」のフィルターが
必ずかかってしまうから。

そのフィルターが、幻想を生むんだよね。

私は、その「主観」というフィルターを
できるだけ外して、世界を見たい。



だけど私の幻想ときたら、相当なものがあるので
できるだけ自分は「One of them」なんだと
言い聞かせてる。

自分を卑下する必要もないし
尊大になる必要もない。

わたし は、どこにでもいる
ただの わたし。

にしては、詩?なんかよく書いてるよなーおめえ。
詩を書くなんてさ、究極の自己愛だよ。

いや、他の方々がそうだと言ってる訳ではないです。
ひとの気持ちはわかりませんからね。

ただ、私の場合は、究極の自己愛だと思う訳。

だから最近ちょっとね・・・
詩を書くのはやめてみよっかなあと思ったりしてる。

小説 となるとまたこれがくたびれるから、
こういう、思いつくままの散文メインにしようかなと。


「世界に一つだけの花」という歌があれだけ流行ったのも、
一人として同じ人間はいないなんて当たり前のことなんだけど

それを  「君たちは、その他大勢・なんかじゃないんだよ、
一人一人がみんな特別で、君は君しかいないんだよ」みたいなことを
花をモチーフにした歌詞で、SMAPという
これまたまさに「特別な人たち」が歌ったから、
「One of them」の人たちには、めっちゃ響いた ってことなんじゃね?



寒いだけの、秋冬がまたやって来る。

今からその寒さに、恐れおののいている。

でも、自分だけ夏のままではいられない。
私も、自然の一部だから。

ただのわたし という自然の一部。

ああ、もう。フィルター、邪魔!

フィルターを外して、見る世界は
きっと、秋も冬も、優しい。



フリー画像・雲と信号









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【2019/10/15 00:03】 | 深層心理
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私の母は、もう17年も前に
亡くなった。

それなのに
私は未だに、朝、線香と水をあげながらも
手を合わす気には、なれない。

だって、おかしいんだもの。
母はまだ私の中で、生々しく生きてるから。


私は、3900グラムという大きな体で産まれた。
へその緒が首に巻きついて、
チアノーゼで、体中が紫色になっていたという。

産声が上がらず、医師が逆さにして叩いたら、
赤ん坊の「おぎゃあ!おぎゃあ!」という泣き声でなく
「ええん・・・ええ・・ええん」と
まるで大人が悲しんでいるように泣いたのよ、と
母がよく言っていた。


私は、まだそのときのまま
母と繋がっていて、断ち切れずに
ずっと首にへその緒が巻き付いたまま、
生きているような感覚に、
ときにふっ・・と包まれる。息苦しくて。

いつも、母と一緒。
二人きりの世界。
お母さんは光。私はその影。影の役割を担わされて生きた。

首に巻きついたへその緒が苦しくて、
何とか断ち切りたいと頭では思っているのに
心は、いや、きっと無意識下では、
断ち切りたくないと言っている。


私の長年の苦しみは、きっと
生まれ落ちてすぐ、
から始まっている気がしてならない。

人は、ひとりで生きる。
だから、他者と一緒に生きられる。

なのに私は、いつも母と二人。
ひとりになっていない。
だから、他者と生きることが難しい。
孤独を感じてならない。

母と分離していないから、
死んだことも知的認識でしかなく、
未だに、二人きりの世界にいる。

だから、本当の現実世界は、脅威で、
とてもじゃないけど、
そんな怖い所で生きられない、みんな敵だと思ってた。


本当は、自分が思うのとは、まるで違って、
世界とは、優しいものなのだと、
そのままの自分を、
受け容れてくれるものなのだと知ったのは、
皮肉にも、病気になってからだった。


知らなかった。
怖い怖い世界で、
鎧で武装しなければ生きられないものだと
思い込んでいた私にとって、

「世界に受け容れてもらえる自分を信頼し、
自分を受け容れてくれる世界を信頼できる」という言葉は、
まさに目からウロコの感だった。


しかし、全ては、やはり知的認識でしかなく、
無意識は、母と二人きりの世界に、すぐ戻りたがる。

首に巻きついたへその緒が苦しいんでしょう?
だったらそんなもの切って、ひとりになればいい。
そう思っても、無意識は、どうしても、どうしても、
母との一体化の世界に居たいらしい。


もうお母さんは死んだの。
そのことを、しっかりと受け容れて
お母さんはもうこの世にいない、と
彼女をあきらめることでしか、私に楽な道は拓かれない。


ちゃんと、心のお葬式を済ませなさい。
そして、母のいない世界で、ひとりで生きる。
ひとりの自己として、他者と一緒に。


それが、優しい世界への
第一歩を踏み出すことに繋がるのだから。








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【2019/10/02 00:03】 | 深層心理
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あなたの海で 踊りたい

あなたの 荒れたその波に

上手く乗れれば あなたはきっと

一緒に踊って くれるのでしょう?






それとも ダンスは嫌いだと

言って 仏頂面のまま

帰れと私を また打つ気?






冷たいあなたと 優しいあなた

今日はあなたと踊れるか

それとも打たれて 血を流すか

あなたと踊るその度に 

私は自分の左の胸に 銃口向けた

まるでロシアンルーレット






残酷だけど 優しいあなた

あなたの海に

私はいつも 溺れてた






あなたの 海に 

甘え過ぎた私の 結末




孤独



shattered-glass-3_21181195.jpg









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【2019/08/26 00:03】 | 深層心理
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梅雨の大雨よりも

もっと 沢山

溜まっている 涙





今日から死ぬ日まで

号泣しつづけても

有り余る 涙






唇噛んで

泣けなかった幼い日

母が死んでも

父が死んでも

泣けなかった あの日






幼い自分を 自分で抱きしめ

「泣いていいんだよ」と

言ってあげたい

喪服姿の自分の背を

自分でさすって

「冷静なフリでいなくていいんだよ」と

言ってあげたい





これまで

自分を粗末に扱って来た分を

取り戻すように

自分に優しくするために

自分で自分を いたわるために

私は

泣き直しの旅に 出る





溺れても

沈んでも

悲しいときは 存分に

泣いていいんだよ





過去の私に

そう告げる旅




フリー画像青い雫

ちょっともう~~
昨日の記事が、ブログ村に何時間経っても
反映されなかったので、
「泣き直し」の書き直しをしています。
ご容赦を。






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【2019/07/17 00:03】 | 深層心理
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よほど泣きたかったんだねえ、私は。



幼い頃から、
どんなに悲しくても、
どんなに傷ついても
どんなに怒っても

「感情を出してはいけない」という
言葉によらない母からの空気に
常に、包まれていたから。


幼稚園に行くのもつらくて
緊張するから、なんだけど、幼い私には
「緊張」とかわからなくて。

母から「行きなさい!」と言われて
しめ出されて、近所の子やおばちゃんたちが来ると
我慢して、まるでグリーンマイルでも歩くかのように
歩いてたっけ。

同じクラスの男の子が
お母さんに幼稚園まで付き添ってもらっても
大泣きして、昇り棒みたいなポールに掴まって
「いやだああああああああああっ!!!!」
と、泣き叫んでいるのを見ては

「泣けるだけいいじゃん、わたしは泣きたくても
行きたくなくても我慢してるのに・・」
と思ったのを、よく覚えている。


それでふと思い出したことが。


我が家では、パパが休みの日曜には
決まって、ママに世界名作童話とかを
読み聞かせてもらってた。

「3時間経っても、もっと読んでって
ナレイは飽きないんだもの」
と母が言っていた。

歌を歌ってもらったり。

その中で、決まって
悲しいおはなし、悲しいおうた になると

おろろ~~~!!おろろろ~~~っ!!

と号泣するので、
「そんなに悲しいなら、他のにしようか?」
と母が言うと

いやあ~~~もいっかいよんで~~~

と言っては、

何度も悲しいおはなしや、悲しいおうたばかり
リクエストしては何度でも泣いていたという。

今でも覚えてる。
泣きたくて、泣いていると
何だか悲しいんだけど、泣けることが嬉しくて。
ママには理解不能で
「ヘンな子だったのよ」と言われてた。

ナレイ本人 としては
「泣いてはいけない」けど
おはなしや、おうたを聞いて泣くなら許される、
幼い私は、無意識のうちにそう思ったのだろう。


何度でも聞いて
何度でも泣いた。
それが、普段泣けない私が無意識下で
「泣いても良い状況」を、
必死で探した結果だったのかも知れない。


今でも、そう・・・特に感情的とかじゃない、
一般的な女性と比べても、
私はおそらく、一般女性の十分の一も泣いていない。


きっと羨ましいんだろうね。
すぐ泣く女の人を見ると、「泣いて済むと思うなよ」
とか思ってしまう。


泣きたい。
思い切り、泣いて泣いて泣き倒したい。

泣きたいときは泣いて良いとわかっていて
やはり泣けない。

未だに「感情ブロック」は解けていないけれど
いつか自然に、泣きたいときに泣ける、
怒って良いときには怒れる、


そういう自然な自分に
私は、なりたい。








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【2019/07/02 00:03】 | 深層心理
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